2013年08月23日

小橋引退

あまりの更新の滞りぶりに自分でも驚いてるわけですが、いやなんだ、もう今年も軽々と半分を超えてしまったのか。せめて年賀状と暑中見舞い程度のペースでは更新しなきゃなーということで、アフリカの空の下で手帳に書きつけた話をブログに再利用。ま、アフリカ出張中になに書いてんだって話ではあるんですが。

小橋建太には感謝しかない。

自分がプロレスを再び熱心に観戦するようになった1996年頃、小橋は既に当時の全日本プロレスの四天王の一角を占めていて、序列的には最下位ながらも三沢戦のクオリティは他の二人を凌ぐほどの存在になっていた。このとき小橋はまだ30歳にもなっていなかった。20歳で入門だからデビューから僅か10年足らず。若手時代、あまりにひたすら練習する姿を笑っていた他のレスラーたちに「いまにコイツに飯を食わせてもらうことになるぞ!」と一喝した天竜の炯眼はさすがである。

当時の小橋の必殺技はムーンサルトプレス。ムーンサルトプレスの使い手としてはもちろん武藤敬司の名前が真っ先に挙がるわけだが、確かに武藤のムーンサルト、特にスペースローンウルフ時代のそれはコーナーポスト最上段からふわっと浮き上がってから相手に向かって落下していく「まさに月面」という美しさがあったが、小橋のはいかにも鈍重、重力にいささかも抗うことなくどてっと落ちる低クオリティー。が、これをひたすら繰り出し続け、ついには自らの膝に致命的なダメージを与え、コーナーポストに上がっただけで小橋の身を案じるファンから悲鳴が上がるようになっても頑なに続けたことで、かつての失笑技を崇高なものにまで高めてみせた。

一事が万事、小橋というのはこれで、笑ってしまうくらいの練習の虫という以外はなんら面白みのない京セラあがりの元サラリーマンが、ひたすら己の身体を張ったファイトを続けることでついに「佇まいそのものがプロレスラー」という高みに辿り着いたわけだ。

そんな小橋が残した数々の功績の中でも、ゼロ年代の格闘技ブームのさなかで「キングオブスポーツ(を謳っているのは新日だけど)」の誇りを砕かれたプヲタたちの唯一にして絶対的な心の拠り所となったことは特筆に値する。さすがに「ノアだけはガチ」とは言わないが、格闘技の連中には決して真似の出来ないプロレスを見せ続けた小橋は確かにジャンルそのものの守護者であった。一人の平凡な青年が生き神のレベルにまで上り詰めていく過程を四半世紀の長きにわたり見せてくれるプロレスの豊かさ、そして小橋建太その人には改めて感謝の言葉しかない。本当に素晴らしいプロレスを見せてもらったよ。小橋、どうもありがとう。

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