2009年06月18日

The show must go on.

「もう書かない」と書いたはずなのに、書かないとやりきれないことが多すぎる。

まだ半分も終わっていないが、2009年は、自分の半径5メートルくらいはともかく、半径20メートルくらいの範囲までのものとの別れが多い年のようだ。先の「サイキック青年団」しかり、今回の三沢光晴しかり・・。そのどれもが、いつまでも永遠に続くような錯覚を起こすくらいに「日常」な存在だっただけに、その喪失感が残す爪痕は意外なほどに大きい。

先週の日曜日、朝方にふと目が覚めると、枕もとの携帯がメールの着信を知らせていた。メールを開くと友人から「三沢が死んでもうた」と一言だけ。陳腐な表現だが、にわかには信じられなかった。

寝ぼけアタマが真っ先に思い浮かべた死因は、故橋本真也と同様の突然死。あるいはもしくは・・と、ノアの地上波中継打ち切りのニュースとも関連付けて最悪の状況すら頭をよぎったが、ネットでニュースを確認して愕然。あの受身の天才がリング上で死ぬだなんて・・。

四天王プロレス時代の激闘によって蓄積されたダメージがここにきて爆発したのかもしれない。あの頃三沢をはじめとする四天王は、ちょっと考えられないくらいに激しくて危険なプロレスを繰り広げていた。危険な角度で相手を頭からリングに叩きつけ、叩きつけられたほうはカウント2.9でフォールを返す。激しい技の応酬。ファンの足踏みが地鳴りのように響く武道館。何人ものファンが泣きながらリングを見つめる、壮絶なプロレスがそこにはあった。

社長業とプロレスラーの両立は、僕たちの想像以上に過酷だったろう。長年の激闘によるダメージが自らの身体をどこまで蝕んでいるか、本人が一番よくわかっていただろう。それでも三沢はリングに立ち続けた。僕たちの声援に応えるために。三沢の死は、「サイキック青年団」と同じく、ファンの期待に過剰に応えようとする姿勢が招いたもののように思えてならない。責任感の表れか、もしくはこれが表現者の業というものなのか・・。一ファンとして、思いは複雑だ。なんともやりきれない。

謹んでご冥福をお祈りします。


併せて、今月15日に急逝されたテッド・タナベ氏(偶然にも三沢と同い年・・)にも哀悼の意を表します。安らかに。

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